2026年3月 春桜会レポート

漢方と医療経営のことを学ぶなら春桜会竹林庵 活動報告
第一部:水谷 先生(総合診療・婦人科専門)
妊娠・授乳中における投薬と放射線検査の原則
今回の勉強会では、総合診療と産婦人科の両方の視点を持つ水谷先生より、日常診療で迷いやすい「妊婦・授乳婦への対応」について、具体的な症例を交えてお話いただきました。
1. 妊娠中の投薬:母体優先と時期別リスク
妊娠中の処方における最大の原則は**「母体優先(Mother First)」**です。お母さんの全身状態が悪化することは赤ちゃんにも悪影響を及ぼすため、救急時や重症時には躊躇なく必要な治療を行うべきです。
  • 妊娠週数による影響:
    • 4週未満: 「All or None(全か無か)」の時期。影響があれば流産し、なければ問題なく継続します。
    • 4〜8週: 「器官形成期」。薬剤の催奇形性の影響を最も受けやすいため、特に慎重な薬剤選択が必要です。
    • 16週以降: 器官は完成しており、主に機能的な影響を考慮する時期となります。
  • 薬剤の選択: 痛み止めにはアセトアミノフェンが第一選択です。一方で、ロキソニンなどのNSAIDsは、湿布や塗り薬などの外用薬も含め、原則として使用を避けるべきです。
2. コミュニケーション:ベースラインリスクと共有意思決定
患者さんの不安を解消し、後のトラブルを防ぐためには、**「ベースラインリスク」**の説明が不可欠です。
  • 自然発生的なリスク: 投薬や検査の有無にかかわらず、妊娠の約15%は自然流産し、2〜3%には何らかの先天異常が起こるという元々のリスクが存在します。
  • 共有意思決定(SDM): 医師が一方的に決めるのではなく、このベースラインリスクを事前に「さらっと」伝えた上で、治療の必要性と不安を天秤にかけ、お互いが納得して着地点を決めるプロセスが重要です。
3. 授乳中の投薬:断乳を避けるための視点
授乳中の投薬制限は、妊娠中よりもずっと少ないのが現実です。ほとんどの薬剤は母乳へ移行しても、赤ちゃんに大きな影響を及ぼすことは極めて稀です。
  • 母乳育児のメリット: 母乳は単なる栄養源ではなく、お母さんの産後うつ防止や、赤ちゃんの感染症予防、将来的なIQ向上など、母子双方に多大なメリットがあります。
  • 安易な断乳の弊害: 「薬を飲むなら断乳」という指導は、乳腺炎のリスクを高め、母乳育児のメリットを損なうため、慎重であるべきです。
  • 情報の活用: 添付文書だけでなく、**『妊娠と授乳(黄色い本)』**や海外のデータベース「LactMed」などの専門的なリソースを確認し、根拠に基づいた説明を行うことが推奨されます。
4. 放射線検査:正しいリスク評価
「妊娠中の放射線は危ない」という過度な不安を取り除くことが大切です。
  • 被曝量と影響: 赤ちゃんに異常を引き起こすとされる閾値(50〜100mGy)に対し、通常のレントゲンやCT1回(約20mGy)の被曝量は非常に微量です。診断に必要な検査であれば、躊躇せず実施すべきです。
  • 代替検査と注意点: エコーやMRIは放射線被曝がなく安全ですが、妊娠後期のお母さんを仰向けで検査する際は、血圧低下(仰臥位低血圧症候群)に注意が必要です。
5. まとめ
妊娠・授乳中の診療においては、医学的なエビデンスを正しく理解した上で、それを患者さんにどのように伝えるかというコミュニケーションが鍵となります。危険兆候(レッドフラッグ)を確認しつつ、専門書等のアンチョコを活用しながら、患者さんと共に最適な治療を選択していく姿勢が求められます。
第2部:來村先生による漢方の解説
1. 四逆散(しぎゃくさん)の臨床応用
四逆散は、柴胡、芍薬、枳実、甘草の4つの生薬で構成される柴胡剤の一種です。
  • 作用メカニズム: ストレスにより交感神経が昂ぶると、末梢血管が収縮して手足が冷える「四逆」という状態になります。四逆散はこの「肝」の昂ぶりを鎮めることで、イライラ、不眠、不安、さらにはストレス性の胃痛や下痢を改善します。いわば**「漢方の安定剤」**のような役割を果たします。
  • 身体的指標(腹証): 肋骨の下の苦しさ(胸脇苦満)に加え、腹直筋にピンと張ったような緊張があることが使用の目安となります。
  • 幅広い応用: 精神的な症状だけでなく、筋肉の凝り、痔、そして**「手汗(手掌多汗症)」**に劇的に効く例もあります。
  • 適応する患者像: 非常に痩せていて緊張感が強く、時間に正確で几帳面なタイプ(例:診察に遅れず来るようなしっかりした人)の緊張を解く「入門薬」として非常に使いやすい処方です。
2. ツボ:上廉(じょうれん)の活用
今回の勉強会では、腕にある陽明大腸経のツボ**「上廉」**が紹介されました。
  • 部位と効能: 腕の筋肉のだるさ、腕の上がりにくさ、肩こりなどに用いられます。
  • 整形外科的視点: 外側上顆炎(テニス肘)になりかけの状態で、組織の変性は少なくても筋肉の緊張(金迫)が強い場合、この場所を押すと強い痛みを感じることが多いです。
  • ケアの方法: 医療機関でのハイドロリリースのほか、患者さん自身が自宅で円皮鍼やせんねん灸を用いて刺激することも有効なセルフケアとなります。
3. 生薬のトウガラシ(万椒:ばんしょう)
日本の漢方処方には直接含まれていませんが、西洋医学や外用薬で重要な役割を持つ生薬として解説されました。
  • 名称の由来: 学名の「カプシクム」は、形が袋状であること(カプセル)や、刺すような痛みを意味する言葉に由来します。和名の「万椒」は、ポルトガル宣教師が伝えた「南蛮胡椒」が語源です。
  • 成分と作用: 主成分のカプサイシンは、温感受容体であるTRPV1を刺激します。刺激し続けることで感覚を鈍らせる(脱感作)作用があるため、鎮痛や痒みの抑制に利用されます。
  • 臨床での工夫: 保険適応外ですが、カプサイシンクリームは、帯状疱疹後神経痛など、既存の薬で改善しない難治性の痛みに対して有効な選択肢となります。
4. 來村先生の研究論文:漢方の科学的証明
來村先生が千葉大学大学院にて「医薬学博士」を取得された際の研究内容が共有されました。
  • 「お湯で飲む」ことの証明: 古くから「漢方薬はお湯に溶かして飲む方が効く」と言われてきましたが、先生はこれをラットを用いた実験で科学的に裏付けました。
  • メカニズムの解明: 温かいお湯を飲むことで胃の温感センサーであるTRPV1が活性化し、神経からNO(一酸化窒素)が放出されます。これにより血管が拡張し、胃の血流が改善することを突き止めました。
  • 他の生薬への応用: この研究により、トウガラシだけでなく、日本の漢方で頻用される**山椒(サンショウ)、生姜(ショウキョウ)、呉茱萸(ゴシュユ)**も同様にTRPV1を刺激して血流を良くすることが分かっています。この知見は、漢方の効果を科学的な言葉で患者さんに説明する際のエビデンスとなります。